『十二支考』の兎・猴・猪の三篇から、熊楠が季節に伴う生物・植物・気象・人間の営みの変化をどう書き留めたかを読む。
季節はどこに現れるか ──『十二支考』三篇から読む熊楠のフェノロジー
南方熊楠の『十二支考』から「兎」「猴」「猪」の三篇を読み、季節に伴う生物、植物、気象、人間の営みの変化を拾った。フェノロジーとは、花が咲く、実が熟す、動物が鳴き始めるといった、生きものの周期的な変化と季節との関係を調べることである。
熊楠が書き留めたのは、冬に白くなる兎、実の熟す頃に集まる猴、秋冬に地中へ生じる菌、季節によって変わる鶏の羽色、乾燥に追われて水辺へ移る狗頭猴などである。そこには、農作、採集、食用期、祭礼、絵画も重なっていた。開花の記録はほとんどないが、三篇から三十件を抽出できた。熊楠の文章では、季節が生物だけの変化として完結せず、人が何を見て、食べ、恐れ、物語にしたかまで連れてくる。
白い兎を三度書く
兎篇で、冬の毛色は一度では済まない。最初に熊楠は、日本普通の兎を学名で示し、北国や高山に棲むものを「冬白く化けるやつ」と書く。次に、中国で瑞祥とされた白兎を取り上げる。「越後兎など雪中白くなる」ものと分け、生まれつき白い兎だとする。
三度目でプリニウスが出てくる。越後兎に相当する兎が冬白くなるのは、雪を食うからだと信じられている、と。熊楠はこれに、
何ぼ何でも雪ばかりじゃあ命が続かぬ
と言う。しかし話はそこで終わらない。
プリニウスいわく越後兎冬白くなるは雪を食うからと信ぜらると。何ぼ何でも雪ばかりじゃあ命が続かぬが、劉向の『説苑』一に弦章斎景公に答えた辞中、尺蠖黄を食えばその身黄に蒼を食えばその身蒼しとあれば、動物の色の因をその食物に帰したのは東西一轍と見える。
劉向『説苑』では、尺取虫が黄を食えば身が黄に、蒼を食えば身が蒼くなる。熊楠は二つを並べ、動物の色の原因を食物に帰する考えは「東西一轍」だと結ぶ。冬に白くなるという現象は種の特徴として採り、雪を食うから白くなるという説明には反論する。そのうえで、説明の型そのものを中国とローマにまたがって拾う。フェノロジーの対象が兎の毛色から、人間が自然の変化へ原因を与える仕方へ広がる。
実が熟すと、猴が動く
紀州白崎の記述は短い。
紀州の白崎では、以前榕実熟する時、猴これを採りに群集し、田辺附近の竜神山にも、千疋猴とて、夥しき猴の団体を見た事あるも、近年一向なし。
榕の実が熟す。猴が採りに集まる。竜神山では「千疋猴」と呼ばれるほどの大群が見られたが、近年は一向にいない。植物の成熟が動物を動かし、その光景が失われた時期まで一文に収まっている。
アビシニアの狗頭猴は、別の要因で動く。熊楠が引くベーカーの旅行記では、十月に大地がすっかり乾くと、群れが水を求めて河へ向かう。岸の灌木の漿果を食べるために滞留し、先頭には大きな牡猴、後ろには老若の群れが続く。児猴は母の背にまたがり、前手で背毛を握って運ばれる。
白崎では実の成熟が群れを集め、アビシニアでは乾燥が群れを水と果実のある場所へ押し出す。熊楠の記述をフェノロジーとして読むと、個々の生物の暦よりも、気象と食物と行動が互いを動かす場面がよく見える。
秋の木実から「猿酒」ができる
実りの先には、人の採集もある。『皇都午睡』に出てくる「岐蘇の猿酒」は、猴が秋の木実を深山の木の股や節穴へ運び、雨露の雫で熟し腐ったものとされる。山の人がそれを見つけ、麻袋に入れて搾ると、黒く濃く、渋みと甘みを兼ねた酒になるという。
熊楠は猿が酒を醸すという話だけを面白がったわけではない。熊野にも稀にあると聞いたことを添え、樹木や竹の幹に人手を借りず酒のようなものができた標本が、自分の手元に集まっていると書く。文献の奇談に、熊野の伝聞と標本を重ねることで、「木の実が自然に発酵する」という部分を確かめようとしている。
秋の木実は猴に拾われ、雨露を受け、発酵し、山の人に搾られ、最後に熊楠の標本箱へ入る。季節現象が資料になるまでの経路も、ここには残っている。
月名のない季節を、苗が知らせる
兎篇には、米沢の山農が行ったという兎害対策がある。兎は蕎麦や草木の苗を、根元から鎌で刈ったように食べ尽くす。山下の粘土を水でよく溶き、苗の上から灌ぐ。泥が茎葉に乾きつくと兎は食べず、苗の生長にも障らないという。
およそ圃の周り二畦三畦通りもかくのごとくすれば来る事なし、圃の中まで入りて食う事を知らず、米沢の深山中で山農の行うところなり
ここには春、夏、何月という記載がない。代わりに「苗」が時期を示している。作物がまだ小さく、兎に食べられやすい間だけ必要となる作業である。泥をかける範囲も、圃場の周り二、三畦と具体的だ。熊楠の季節記録には、暦の言葉より生育段階と手仕事の記述が詳しい場合がある。
初春の熊野では猴舞わしが巡り来て、牛舎の前で猴を舞わせた。陰暦十一月初めの申の日には、安堵峰辺で山祭りが行われた。山神が山中の樹木を数える日とされ、樵夫は木々と一緒に数え込まれることを恐れて山へ入らない。春の畜産儀礼と初冬の入山停止は、季節に応じて仕事を始め、休む境目を示している。
貝が鳥になり、絵の鶏が季節を違える
紀州牟婁のタチガイは、冬から春まで食用になり、夏には肉が鳥へ変わると伝えられた。鳥は磯ひよどりに似て頭が白く、尾がなく、「ヒヨヒヨ」と鳴くという。季節が変わると、食べる貝が鳴く鳥になる。
熊楠は中国と欧州からも、貝が鳥になる話を引く。そして、タチガイの肉が鳥の形に似ていたために生まれた説だと説明する。冬から春が食用期だという記録を残しながら、夏の鳥化には別の由来を探った。
猪篇では、季節を見誤ったのは画家の応挙である。祇園神社へ掲げた鶏の絵を見て、長年鶏を飼ってきた人が、鶏の羽色は四季に応じて変わるのに、絵の羽色と傍らの草花の時節が合っていないと指摘したという。花だけを正しく描いても、その時期の鶏と合わなければ、画面の季節がずれる。
熊楠はこの逸話の末尾に「あったと覚える」と付ける。飼育者の知識が応挙の絵を正したという筋を紹介しつつ、出典を記憶で書いていることも隠さない。季節の正確さを語る文章そのものに、熊楠自身の記憶の精度が書き込まれている。
猿の初鳴きを見に行けなかった
安芸宮島には、二月十一日の申の日に「猿の口開」を行い、その日から島の猴が声を発するという神事が伝わっていた。十一月上申の日には「猿の口止」を行い、その後は声を収める。鳴き始めと鳴き止みが、祭礼の日付に重ねられている。
熊楠はこれを読んで「何とか実地研究」と考えた。ところが、宮島で猴を見た者がないという報告に出会い、「お生憎様と知った」と書く。文献に日付があり、初鳴きと終鳴きが明記されていても、現地で確かめられなければ判断を止める。調査できなかった経緯まで残したため、読者には伝承と確認済みの観察との距離が分かる。
三篇から見えた、熊楠の季節
三篇の記述では、季節は「春」や「十月」という暦、実の成熟や苗といった生育段階、大地の乾燥や吹雪という気象、農作や採集の時期に現れた。熊楠はそれらを各地の文献から引き、自分の観察、土地で聞いた話、手元の標本と照らし合わせた。冬毛や実の成熟は生物の特徴として採用し、雪を食う兎や鳥に変わる貝には原因を考え直し、猿の口開・口止は確かめられないまま残した。
今回の調査は、「兎」「猴」「猪」の三篇による試掘である。三十件のうち十二件は、固定日の祭礼、冬毛のような季節的な状態、一夜の吹雪など、フェノロジーに含めるか検討を要する事例だった。この揺れも、熊楠の文章が生物の変化から生業、食、伝承、絵画へ続いていくために生じている。
近いうちに調査対象を『十二支考』の十二支へ広げる予定である。植物の芽吹きや結実、動物の移動や鳴き声、農作や祭礼との接続を全体で追えば、熊楠が季節の変化を何によって確かめ、どの説明を採り、どこで判断を止めたのかを、さらに具体的に比べられるだろう。
調査上の留保
- 対象は『十二支考』の兎・猴・猪の三篇に限った試掘である。
- 底本には青空文庫の新字新仮名版を用いた。引用箇所の表記は、公開テキストに基づく。
- 三十件という抽出数には、固定日の祭礼、冬毛のような季節的状態、一夜の吹雪など、フェノロジーに含めるか検討を要する例を含む。
- 原典・初出誌・熊楠自筆資料との照合は未実施である。
参考資料
- 南方熊楠「十二支考 02 兎に関する民俗と伝説」青空文庫。
- 南方熊楠「十二支考 07 猴に関する伝説」青空文庫。
- 南方熊楠「十二支考 10 猪に関する民俗と伝説」青空文庫。
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