雨上がりの水たまりに映る、灰色の空と木々の枝

複雑さを手放さない学問——環境人文学と南方熊楠の萃点

環境人文学の輪郭を概観し、南方熊楠の「萃点」を補助線に、複雑なものを複雑なまま扱う態度を考えるノート。

はじめに

「環境人文学(Environmental Humanities)」という言葉を聞いたことがあるだろうか。環境問題といえば、まず気候科学や生態学、工学といった自然科学の領域を思い浮かべる人が多いだろう。しかし2000年代以降、世界中の大学で存在感を増しているのが、歴史学・文学・哲学・人類学・宗教学といった人文学の側から環境問題に向き合おうとするこの新しい学問領域である。

本稿では、この環境人文学という分野がどのような輪郭を持つ学問なのかを概観したうえで、その根底にあるひとつの「態度」――複雑なものを、複雑なまま扱おうとする態度――に焦点を当てたい。

そして、この態度を理解する補助線として、明治から昭和にかけて生きた博物学者・南方熊楠が遺した「萃点(すいてん)」という概念を重ね合わせてみる。時代も文脈もまったく異なる二つの知が、なぜか同じ場所を指し示しているように見えるからだ。

環境人文学とはどのような学問か

環境人文学は、単一の学問というより「動き」に近い。環境史、エコクリティシズム(環境文学研究)、環境哲学・倫理学、環境人類学(とりわけ人間以外の生物にも目を向けるマルチスピーシーズ人類学)、環境社会学、環境宗教学などが緩やかに合流しながら形成されてきた学際領域である。

この動きが本格化した背景には、「人新世(Anthropocene)」という考え方の広まりがある。人類の活動がすでに地質学的なスケールで地球全体に影響を及ぼしているという認識が共有されるにつれ、「自然」と「文化」を切り離して扱うこと自体が難しくなった。海洋汚染も、森林破壊も、生物多様性の喪失も、突き詰めれば人間がどのような価値観・世界観のもとで自然と関わってきたかという問題に行き着く。だとすれば、環境問題への対応には、意味・価値・責任・目的といった、伝統的に人文学が扱ってきた問いが不可欠だ、という発想である。

もちろん、問いを立て直す営みは自然科学の内部にもあり、両者を「答えを出す科学」対「問い直す人文学」と単純に切り分けるのは正確さを欠く。より精確に言うなら、自然科学が環境の変化そのものを測定し、その機序を説明しようとするのに対し、環境人文学はその変化を人間社会がどう意味づけ、誰の責任としてどのような制度や実践のなかで引き受けるのかを問う。しかもこの問いは机上の思弁にとどまらない。環境人文学は環境教育のカリキュラム作りや保全政策への助言、被災地・汚染地域でのフィールドワークを通じた地域実践にも関わっており、「問い直すだけの学問」ではない。

複雑さを解体しない、という態度

環境人文学に触れていて印象的なのは、複雑な事象を要素に分解し、変数を整理してモデル化するだけでは捉えきれない層に、意識的に目を向けようとする姿勢である。

代表例が人類学者アナ・チンの『マツタケ――不確定な時代を生きる術』である。この本は、オレゴンや雲南で採取され、日本へと流通していく一種の菌をめぐって、資本主義的なサプライチェーン、東南アジア難民の労働史、森林の撹乱生態学、贈与と商品の入り混じった取引慣行を、丁寧に並べて見せる。特徴的なのは、この本が「資本主義が環境を破壊している」という一枚岩の告発には向かわない点だ。むしろマツタケという、人工栽培できない菌そのものを一つの結節点として据え、そこに経済・生態・移民史・戦争の記憶がどのように具体的に絡み合っているかを、告発する前にまず開いてみせる。単純化を急がず、マツタケという場所に留まり続けることそのものが、この本の方法になっている。

哲学者ドナ・ハラウェイは「トラブルとともにあること(staying with the trouble)」という言葉で、問題をすっきり解決してしまうのではなく、その厄介さのただ中に踏みとどまり続けることの重要性を説いた。科学人類学者ブリュノ・ラトゥールもまた、環境問題を「事実の問題(matters of fact)」としてではなく、利害・価値・不確実性が絡み合う「関心の的(matters of concern)」として捉え直すべきだと論じている。

これらに共通するのは、複雑さを「ノイズ」として除去するのではなく、複雑さそのものが問題の本質を伝えているのだから、それを保存したまま思考せよ、という構えである。

気候変動のような問題は、単一の原因や単一の解決策に還元した瞬間に、その問題が持つ植民地主義的な不公正の歴史や、種を超えた生態系の絡み合いを取りこぼしてしまう――環境人文学はそう警戒する。

これは「複雑なものを複雑なまま扱おうとする態度」そのものだろう。そしてこの態度を、驚くほど早い時期に、まったく別の文脈で言語化していた日本人がいる。南方熊楠である。

南方熊楠の「萃点」と南方マンダラ

南方熊楠(1867–1941)は、生物学者・民俗学者・博物学者として知られるが、その関心は仏教哲学から粘菌の生活史、性愛の民俗までを横断する、およそ一つの肩書には収まりきらない人物だった。彼の思想の核心を伝えるのが、真言宗の僧侶であった土宜法龍(どき ほうりゅう)との膨大な往復書簡、なかでも1903年に送られた図とともに説明された、いわゆる「南方マンダラ」である。

土宜法龍宛の1903年7月18日付書簡に描かれた、いわゆる南方マンダラの図。複数の曲線が交差している。 南方マンダラ 7月18日図。作者: 南方熊楠 / 出典: Wikimedia Commons / 原資料: 南方熊楠顕彰館 / ライセンス: Public domain / 変更なし。

熊楠はこの手紙のなかで、世界を五つの「不思議」に分けて考えた。

  • 物理現象として捉えられる「物不思議」
  • 心理として捉えられる「心不思議」
  • その両者が交わる「事不思議」
  • 推論や直観によってしか捉えられない「理不思議」
  • そのすべてを包み込みながら人知を超える「大不思議」

図の中には無数の曲線が縦横に交差しており、それぞれの線は個別の因果関係――ものごとの「ことわり」――を表している。線と線が交差する場所は無数にあるが、そのなかでもとりわけ多くの因果が集中的に交錯する一点を、熊楠は「萃点(すいてん)」と名付けた。「萃」は「あつまる」の意である。

熊楠自身の言葉を借りれば、この萃点を押さえてそこから研究を始めれば、ものごとの道理を見出すのがたやすく、早い。逆に萃点から外れた場所から出発すると、他の点を経由してようやく本筋にたどり着くことになり、遠回りになる。だからこそ熊楠は、萃点から物事を考えることが、問題解決のもっとも近道なのだと述べた。

ここで重要なのは、萃点は世界の全体を要素に分解し尽くしたうえで見つかる「単純な最終原因」ではない、という点である。熊楠研究者の鶴見和子は、萃点を安易に「中心」と同一視することを戒めている。中心と呼んでしまうと、あたかもそこに命令を発する特権的な場所があるかのような、階層的なイメージになってしまう。そうではなく萃点とは、性質のまったく異なるものたちが出会い、ぶつかり合い、互いに影響を及ぼし合う交差点のようなものだ、と鶴見は説明する。萃点を掴むということは、複雑さを単純な図式に還元することではない。むしろ、複雑さがもっとも濃密に、もっとも豊かに現れている場所を見極め、そこに身を置いたまま思考を進めるということなのである。

付け加えておけば、熊楠は単なる思弁の人ではなかった。明治政府が進めた神社合祀政策――各地の神社を統廃合し、鎮守の森を伐採していく政策――に対して、熊楠は生態学的多様性と地域の信仰・慣習が分かちがたく結びついていることを根拠に、粘り強い反対運動を展開した。ここで「熊楠は環境人文学の先駆者だった」と言い切ってしまうのは、さすがに時代錯誤が過ぎるだろう。熊楠自身は「環境」や「人文学」という現代的な区分けのなかで運動していたわけではない。ただ、環境人文学という補助線を通して読み直したとき、鎮守の森という一つの場所に、生態系・信仰・地域共同体・国家の近代化政策が交錯する様子を見て取り、そこに留まって考え、そこを守るために行動した熊楠の身振りには、たしかに近い感度が見えてくる。

二つの知の重なり――萃点という補助線で環境人文学を読む

もちろん違いも大きい。熊楠の萃点は、真言密教の曼荼羅的発想や、華厳的な世界観とも響き合いながら、熊楠自身が独自に組み立てた宇宙論的な概念である。

対して現代の環境人文学の多くは、資本主義や植民地主義といった具体的な権力構造への政治的な批判を伴っている。熊楠が見ようとしたのは宇宙的な因果の網の目であり、環境人文学が見ようとしているのは歴史的・政治的に条件づけられた不公正の網の目である。両者を性急に同一視することには慎重であるべきだろう。

そのうえで、なお残る手厳しい批判にも向き合っておくべきだろう。「複雑さを保持したまま考える」という構えは、それ自体が一種の免罪符になりうる。

絡まり合っている、単純化できない、と言い続けるだけで、結局何を守り、何を変え、誰が動くべきかという判断を先送りしてしまえば、それは決断の回避を洗練された語彙で正当化しているに過ぎない。政策や保全の現場からは、こうした批判が繰り返し向けられてきた。

チンの仕事が優れているのは、複雑さを開示したところで足を止めず、最終的には「進歩」という概念にかわる別の生存の様式を具体的に指し示そうとした点にある。逆に言えば、複雑さの提示だけで完結してしまう環境人文学の仕事は、この批判を免れない。萃点の思想についても同様で、「近道」とは言うものの、萃点をどう見極めるかという判断基準そのものが明示的でない、という指摘は成り立つ。

おわりに

環境人文学は、まだ輪郭が固まりきっていない、生成途上の学問領域である。しかしその根底には、環境問題を人間の価値観・歴史・権力関係と切り離さず、複雑さをそのまま抱え込んで思考しようとする、一貫した態度がある。

この態度は、100年以上前に南方熊楠が那智の山中で見出した萃点の思想――複雑な因果の網の目を分解するのではなく、それが最も密に交錯する場所に身を置いて考えよという思考法――と、驚くほど深いところで響き合っている。萃点は中心ではなく、異質なものたちの出会いの場である。おそらく環境人文学もまた、自然科学と人文学、地域の物語と地球規模のデータ、人間と人間以外の生き物たちが出会う、一種の萃点を探し続けている学問なのだろう。

参考文献

  • アナ・チン(赤嶺淳訳)『マツタケ――不確定な時代を生きる術』みすず書房、2019年
  • Donna Haraway, Staying with the Trouble: Making Kin in the Chthulucene, Duke University Press, 2016
  • Bruno Latour, "Why Has Critique Run out of Steam? From Matters of Fact to Matters of Concern," Critical Inquiry 30(2), 2004
  • 鶴見和子・松居竜五『南方熊楠・萃点の思想〈新版〉――未来のパラダイム転換に向けて』藤原書店
  • 中沢新一『森のバロック』講談社学術文庫

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