雨上がりの水たまりに映る、灰色の空と木々の枝

歌はどのように資料になるか——『十二支考』の歌・声・身体を調べる

『十二支考』五篇から歌・声・身体動作を伴う記述を抽出し、熊楠がそれらをどのように比較可能な資料へ変えたかを読む予備調査。

歌はどのように資料になるか ──『十二支考』の歌・声・身体を調べる

南方熊楠の文章には、和歌や漢詩のほか、子守唄、作業歌、唱え言、都々逸、動物の鳴き声、祭礼の音楽と舞が繰り返し現れる。私は、声や身体を伴う出来事を、熊楠が文章のなかでどのような資料へ変えたかに関心をもった。

歌は、誰かが覚え、ある場所で声に出し、ときには道具を持ち、決まった動作とともに繰り返す。文章に移されると、旋律や声質、呼吸、聴衆の反応は残りにくい。熊楠はその過程で何を記録し、何を比較や推論に使ったのか。この問いから、『十二支考』の歌と声に関する調査を始めた。

調査した範囲

まず青空文庫で公開されている『十二支考』から、兎・蛇・猪・鼠・猴の五篇を選んだ。「歌」「唄」に加え、「唱える」「声」「鳴く」「曲」「舞」「箏」「鼓」などを手掛かりに、和歌、狂歌、子守唄、呪言、鳴き声、祭礼の演行を拾った。

条件を変えて二度抽出し、得られた238件を照合した。同じ本文箇所を指すものをまとめると136件になった。各事例について、歌や音の種類、熊楠がそれを得た経路、歌う者、場所、反復、身体動作、熊楠が加えた比較や判断を記録した。LLMによる調査支援は候補抽出と突合に限り、分類の修正と本文確認は人が行った。

この作業で作ったのは、本文へ戻って事例を比較するための索引である。同じ歌が別の篇でどう使われたか、文献から引いた歌と熊楠自身が聞いた歌で何が違うか、歌詞の周囲にどのような情報が残されたかを記録した。統合した調査結果は、『十二支考』歌声演行資料・重複なし統合一覧にまとめた。

記憶の歌から語源を考える

兎篇で熊楠は、幼いころ和歌山で聞いた子守唄を思い出す。「兎の耳は長い、きりすの羽根は薄い、笹の葉で括って……」という歌である。彼は、この「笹」を兎を表す梵語「舎々迦」と結びつけ、「まんざら……拠って作ったのであるまい」と推測した。

ここでは、幼少期の聴覚的な記憶が、語源を考える材料へ移されている。熊楠は記憶した歌を示し、そこへ異言語の語形を接続する。由来については推測にとどめた。子守唄は、個人の記憶、土地の伝承、言語比較が交わる場所として文章に置かれている。

外国の伝承を都々逸へ移す

蛇篇には、英国の蝮に関する伝承を熊楠自身が「字余り都々逸」にした箇所がある。外国語で得た知識を、日本の歌謡形式へ移し替えた例である。

この例では、都々逸が読者へ知識を渡す形式になっている。熊楠は外国語の説明を、日本の読者が知るリズムへ組み直し、記憶に残りやすい言葉として提示した。ここでは熊楠自身が歌を作り、知識の伝え方を編集している。

歌詞の外側にある実行法

猪篇には、越後で十歳の少女から採集された蛇除け歌が引かれている。熊楠は少女の年齢を書き、家を出るときに敷居をまたぐ前、歌を三遍唱えるという条件も記した。蛇に咬まれた後、蕨を使う処置の話も続く。

ここには歌詞とともに、誰が唱えたか、いつ唱えるか、どこで唱えるか、何回繰り返すか、身体に何が起きた後にどう処置するかが残されている。これらを一緒に読むと、歌が実行の手順を含む知識として記録されていたことが分かる。

同系統の蛇除け歌は、六年前に発表された蛇篇にも現れる。蛇篇では複数の文献から異文を集め、歌中の「山立姫」を野猪と結びつけながら、識者の教示を求めていた。猪篇では越後、陸中、南総、多摩、琉球の例と実施条件が加わる。山立姫の正体は決まらないまま、歌が使われる状況は詳しくなった。

新しい聞き取りや異文が届くと、熊楠は歌詞の意味に加えて、唱える場所、回数、処置、地域差まで説明の対象にした。後の文章ほど情報は増えたが、山立姫の正体は未決のまま残った。

歌・楽器・衣装・舞を一緒に読む

鼠篇の四辻殿林歌は、宮中の甲子祭に関わる演行として現れる。熊楠は歌とともに、箏、鼠の文様を付けた装束、舞踊、祭礼の目的を記し、鼠害を防ぐ厭勝との関係を考えた。後の箇所で同じ歌を再び取り上げる際には、聞き取りを加え、大黒天を喜ばせる演行として読み直している。

同じ歌が一つの篇のなかで再掲され、その都度、別の説明を与えられる。新しい証言が入ると、熊楠は先に示した歌へ戻り、儀礼の機能や由来についての読みを組み替えている。

動物の声を人の言葉へ置き換える

猴篇では、動物の鳴き声を文字で写した例、呼び名の由来を鳴き声から考えた例、漢籍の記述と土地の古老や猴舞わしの証言を並べた例が見つかった。猴舞わしは、四国の猴は芸を仕込みやすく、熊野の猴は生来荒いと語る。熊楠は、長年猴を扱った者の経験としてこの話を論証に入れた。

動物の声や性質について、熊楠は自身の観察に、動物を扱う職能者や土地の人の話、過去の文献を重ねた。それぞれが異なる距離から対象を語っている。誰の耳と身体を経た知識なのかを追うと、『十二支考』の背後にいた人々も見えてくる。

文章に残ったもの、こぼれたもの

五篇を横断すると、熊楠は歌詞、語句の異同、採集地、話者、唱える場面、回数、道具、動作、効能を比較的よく記している。これらは、別地域の事例や文献上の類例と並べ、語源、伝播、儀礼の機能、動物観を考える材料になる。

今回確認した範囲では、旋律、音程、速度、声量、節回しの記述は乏しかった。歌い手の感情や聴衆の反応もほとんど残らない。熊楠が省いたのか、引用元の資料にも記録がないのかは、原典との照合によって確かめる必要がある。

熊楠の文章には、文字で比較できる歌詞や語句、由来や効能を考えるための情報、実行の手順が多く残った。声の響きや場の感情は、その変換の途中で薄くなっている。

調査から見えてきたこと

熊楠が引用した歌は、語源、伝播、儀礼の機能、動物観を考える材料として働いていた。五篇を照合した結果、歌ごとに熊楠の操作が異なることも確認できた。

幼少期の記憶は語源推定の材料になり、外国の伝承は都々逸へ翻訳され、蛇除け歌には反復と身体動作が付け加えられ、宮中の歌は楽器・衣装・舞とともに儀礼の機能を考える材料になった。同じ歌が再掲されると、新しい異文や聞き取りによって説明も変わった。

この調査では、歌の内容に加え、声や身体を伴う出来事が文字へ移され、比較可能な知識へ変わる過程を追った。そこには熊楠の編集があり、情報を届けた人々の経験があり、文字には残りにくい音の欠落がある。

今後は『十二支考』全篇と関連作品へ範囲を広げ、同じ歌の再掲、異文、情報提供者、熊楠が加えた訂正や保留を追う。旋律や演行の記録が原典に存在したかも照合したい。彼の文章から何がこぼれたかを具体的に検討できるかもしれない。


調査上の留保

  • 対象は『十二支考』の兎・蛇・猪・鼠・猴の五篇で、底本には青空文庫の新字新仮名版を用いた。
  • 136件は条件の異なる二度の抽出結果を突合した統合件数である。歌を論じる本文箇所のほか、鳴き声、楽器、舞なども一件として数えた。
  • 本稿は予備調査の報告である。引用文、初出、情報経路、熊楠の判断を示す表現は、公開前に本文と再照合する。
  • 抽出・分類・突合にはLLMを使用した。処理対象は公開テキストに限り、基準の設定、目視確認、解釈は筆者が行った。

執筆と監修について

本稿は、LLMによる調査・執筆支援を用いて作成した。公開にあたっては、人間の監修者が構成、表現、調査範囲、留保の書き方を確認している。

LLMによる機械調査結果は、『十二支考』歌声演行資料・重複なし統合一覧として公開している。

この記事の作成にはLLMによる補助を利用しています。詳細はAI利用方針をご覧ください。